

スペイン国マドリッド市生まれ。大阪(大阪市及び守口市)で育つ。同志社大学経済学部卒業後、のべ5年間にわたり、大和証券SMBC株式会社及びSMBC日興証券株式会社にて、M&A(企業の買収・合併)のアドバイザリー業務に従事。
2013年4月、政治家を志して、34期生として(公財)松下政経塾入塾。経済・財政政策、特にベンチャー企業振興を主な研究テーマとする。この間、1年間にわたるワシントンDCでの研修を実施し、共和党下院議員事務所でのインターンも経験。2017年3月に卒塾後は、衆議院議員前原誠司事務所で勤務する傍ら、京都市内のベンチャー企業で経営企画やM&Aを担当した。
2019年6月、衆議院滋賀1区(大津市、高島市)総支部長に就任。
2021年衆議院議員総選挙で初当選。2024年衆議院議員総選挙で再選し現在2期目。
趣味・特技
日本語のほかに、英語・スペイン語が使用可能。旅行、映画・ドラマ鑑賞が趣味。好きな言葉
疑うなかれ、懸命な行動力のある小さな集団が世界をも変革出来る、ということを。 まさに彼らこそが今まで世界を変えてきたのだから。-マーガレット・ミード尊敬する人
松下幸之助、斎藤隆夫所属委員会
【常任委員会】
●財務金融委員会(理事)
【特別委員会】
●地域活性化・こども政策・デジタル社会形成に関する特別委員会(委員)
●政治改革特別委員会
経歴
1985年 | スペイン国、マドリッド市で生まれる |
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1998年 | 守口市立守口小学校 卒業 |
2001年 | 守口市立第一中学校 卒業 |
2004年 | 東海大学付属仰星高等学校 卒業 |
2008年 | 同志社大学経済学部 卒業 大和証券SMBC㈱ 入社 |
2012年 | SMBC日興証券㈱ 入社 |
2013年 | (公財)松下政経塾 |
2015年 | 笹川平和財団(米)フェロー |
2016年 | アメリカ合衆国議会 フレイシュマン下院議員事務所(共和党、テネシー州3区選出) |
2017年 | 衆議院議員 前原誠司事務所 秘書 |
2017年 | ポノス㈱ 入社 |
2021年 | 衆議院議員初当選 |
2024年 | 衆議院議員当選(現在2期目) |


幼少期
マドリッド生活の記憶はあまりなく、父の仕事の関係で大阪に移住した日のことだけが比較的鮮明に記憶に残っています。マドリッドの家の前を子供用のスーツケースを引きずっていたこと。夜の伊丹空港に到着したこと。そして大阪で最初に住んだ森ノ宮の公団住宅から見る大阪ビジネスパークと大阪城のライトアップが綺麗だったことが印象に残っています。 スペインに住んでいた時から母とは日本語で会話していたようで、日本に来てからも言葉には不自由することはあまりなかったと記憶しています。この頃の将来の夢は飛行機のパイロット。当時は飛行中にコクピットに子供を案内してくれることもあり、パイロットのカッコよさに憧れたのだと思います。

小学校・中学校時代
今から考えると不思議ですが、中学校までは名前の「アレックス」で呼ばれることはほぼなく、友人にも苗字の「斎藤」で呼ばれていました。 たいして勉強もせず、部活以外では、テレビゲーム、漫画そして映画ばかりみていました。友達と遊ぶときはカラオケボックスが多く、とてつもなく音痴ながら、DA PUMP、LUNA SEAやGLAYなどをよく歌っていました。一番よく聴いたCDはB’zですが、あまりに難しすぎて歌う勇気はなかったです。 私が中学校頃の頃、日本景気がひどく落ち込み、父は新たな職を得るためにスペインに帰り、その後は母が女手一つで育ててくれました。それでも、日々普通に生活して成長できたのは、母が必死に働いて生活を支えてくれたおかげであり、とても感謝しています。国家経済の状況がその国に住む人、家族の運命を大きく左右するという事実を、身をもって学んだ少年時代でした。 この頃、インターネットが急速に普及し、インターネット関連企業の経営者が脚光を浴びていました。自分にとってのあこがれの対象も、パイロットからこのような起業家、経営者に移っていきました。

高校時代
高校に入ると、突然みんなに名前である「アレックス」で呼ばれるようになりました。サッカー部に入部したのですが、中学校にサッカー部が無かったことで大きなブランクが生じたためか、あるいはまったく運動神経が無かったからか、自分があまりに周りの友達に比べて下手で、一種の挫折を経験しました。 この頃までに、将来は政治家になりたい、と漠然と考えるようになりました。厳しい経済環境で育っていたことに加えて、当時日本経済が失われた10年と言われる低迷期にあったことから、政治家になって、日本の経済財政を再建したい、と考えるようになっていました。

大学時代
同志社大学の経済学部に進学。失われた10年から一転、IT系や金融系を中心に日本経済の一部は好況を呈するようになります。特に金融、投資銀行業界の華やかさに憧れ、金融工学系のゼミに入りました。学生を熱心に指導してくださる指導教員のおかげもあり、非常に活発なゼミで、勉学の面だけでなく人間としても大きく成長できたと思っています。 大学生のころは夏季休暇などを利用してスペインに2回ほど長期滞在しましたが、海外で日本人として過ごすことで、また現地の学校でも説明せずとも自然と日本人として扱われたり、あるいはホテルのフロントでスペイン語で話しかけると驚かれたりする経験もあり、自分がアジア人、日本人なのだとの意識が確立されることになりました。

社会人時代
第一志望だった投資銀行業界の証券会社に就職し、意気揚揚と上京します。しかし、入社して数カ月でリーマンショックが発生。証券会社にとっては厳しい時代でした。もっとも、入社1年目の私自身に直接影響があったわけではなく、延べ5年間に亘り優秀な先輩方や同期に囲まれて、有意義な社会人生活を送らせていただきました。日本企業による外国の会社へのM&A(会社の買収や合併)を担当し、海外出張等も経験できたことは大きな財産になっています。 リーマンショック後に日本企業が置かれた厳しい経済環境が影響する形で、リストラを伴う案件を担当することも多く、日本の経済・財政、そしてそれを土台とする社会保障制度の先行きに強い危機感をもつようになります。

松下政経塾
政治家になり、日本の経済財政、社会保障を立て直したいとの志を固めて、松下政経塾に入塾。4年間の間、社会に尽くそうという同じ志を持つ同期や先輩・後輩の塾生とともに研修、研究に励みました。 経済、政治、歴史、芸術文化などの座学を受けると同時に、街の電器販売店や、中国の工場、自衛隊などの現場に短期間ながら入らせていただき、社会の営みを今までの人生で一番幅広く・深く学べた時期でした。 「自分が本当に社会に貢献できる人物になり、志を成し遂げられるのか」、そう悶々と悩む日々を共に切磋琢磨しながら過ごした塾生は、一生の同志です。

米国議会
松下政経塾在塾中に、笹川平和財団とアメリカ政治学会が共同で募集した米国議会フェローに選出され、ワシントンDCにて米国政治、米国のベンチャー政策などの研究を実施しました。 このフェロープログラムでは、自分で米議会の受け入れ先(議員や委員会の事務所)に面接を申し入れて採用されないといけないという、外国人でしかも留学経験のない自分にとって非常にハードルが高いものでしたが、フレイシュマン下院議員(英:Rep. Chuck Fleischmann共和党、テネシー州3区選出)にポジションをいただき、米国議会の議員事務所で勤務するという極めて貴重な経験を得ました。 米国議会の議員事務所に勤めるスタッフは総じて若く、年齢が近かった私は、アフター5や休日まで含めて彼らと交流し、現代日本とは切っても切れない関係にある米国の実際の姿を深く理解できたと思います。 様々な縁に恵まれて、2016年大統領選挙のトランプ旋風が吹き荒れる最中に米国政治の中心部で得られた人的、知的資産を、日米関係の発展のために還元していきたいと思います。
